気象MEMO雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く時と場所を変え、暮らしに根付いた天気の話題。

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あらし山の夢 01:16
 忘れもしない2004年の大寒の日に父が病で倒れた。みかん農家の長男に生まれた私は、生まれ育った我が家とみかん山をどうするかいきなり対応を迫られ、栽培規模を縮小するために、みかんの樹を切って、桜や母が好きだった山茶花などを植えた。“みかん山をアラシヤマにするのか”という友人の一言を“荒らし山”と聞き違え、先祖からのみかん山を荒らすのかと受け取った。みかん山に桜や山茶花などの花木を植えたので、京都の嵐山のようにするのかという何気ない一言だったが、この時から「あらし山」という号を名のり、“先祖伝来の家を荒らし、みかん山を荒らす”と称し、生まれ育った家を「あらし山・山荘」と名づけ、松山と八幡浜の二地域居住を地でいくことになる。この瞬間、私の中で田舎が”負債”から”資産”に変わった。
あらし山・山荘
         【あらし山・山荘(柳原あや子画)】
 スティーグ・クレッソンという人が書いた「豊かさと幸福を問い直す」という詩は、少なからず私に衝撃を与えた。この詩が、農業が衰退し地域社会が変貌する様を映し出していたからである。高度経済成長を経て世の中が画一化し、大量生産・大量消費の時代が来ると、地域にあった暮らしや食が変貌した。変化や効率・グローバル化などと言ってるうちに、もともと私たちがもっていた自然や地域の記憶も、受け継がれてきた仕事や暮らしの記憶も、受け継がれることなく風化しはじめた。記憶が崩れていく時代である。
 宮沢賢治に憧れて農芸化学を専攻し、土壌肥料の技術者として農地の土壌診断をして県下各地を歩いた。気がつくと技術者として同じ道を歩んできたような気がする。宮沢賢治は農学校を退職後、羅須地人協会を設立し、農民に生産改善を直接指導をするかたわら農民芸術論を説いた。教育が国のものとなる前は全国各地に私塾があり、様々なスタイルの教育活動が展開され、それが「坂の上の雲」の時代に結実した。
羅須地人協会
                【羅須地人協会(花巻市)】
 若松進一さんが人間牧場で「年輪塾」を開塾されたおり、塾頭をしないかとお誘いをうけた。あらし山で宮沢賢治の羅須地人協会のような私塾を開きたいと常々思っていたので、「年輪塾」の塾頭としてリアルとバーチャルが融合した新たな私塾スタイルに挑戦している。現代の羅須地人協会をつくり、様々な価値観を持った私塾ネットワークをつくるのが私の夢となった。
 出会いとは不思議なものである。決して偶然ではない。人は基底部に同じものを有している人と出会うのだという。どうやら、どんな出会いをするかは自分しだいらしい。
 ”気象人・農業人・健康人"として、あらし山で現代の羅須地人協会をつり、自給自足・質素倹約・健康で豊かな暮らしが新たな私の目標である!
 二宮尊徳先生、よろしくお願いいたします。
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正月は真っ白! 23:11
 冬型には高気圧が張り出すことに伴う「押しの冬型」と、低気圧が猛烈に発達することに伴う「引きの冬型」がある。大晦日から元日にかけては「引きの冬型」で、天気図には日本付近に等圧線の数が10本以上もある寅模様となり、強い寒波が流れ込み大荒れとなった。「引きの冬型」は短期間で終わることが多いが、低気圧が非常に発達するため猛烈な吹雪を伴うのが特徴のひとつで、この日も広範囲に暴風が吹き荒れた。また季節風が山にぶつかるために、平地より山間部で降雪量が多くなる「山雪型」になるのも特徴で、南予を中心に山間部で大雪となった。
 初代の中央気象台長(現在の気象庁長官)は荒井郁之助である。明治元年の秋、江戸城明け渡しに反対して、幕府の軍艦が北海道に向かったが、この艦隊の司令長官であった。彼は”あらし”に相当悩まされたらしく、この時も”あらし”にあって船をうしない、その年の12月にも北海道で”あらし”にあい、最新鋭の軍艦を座礁させ沈没させている。12月末といえば日本近海は発達した低気圧がよく通り海難事故が多くなるが、この低気圧のことを「年末低気圧」という。
 さて、今年も28日が仕事納めで29日から翌年の3日まで正月休みとなったが、この正月休みなるものはいつからあるのかと調べてみると、明治6年1月7日の太政官布告二号で1月1日〜3日と、6月28日〜30日、12月29日〜31日は「これまで通り」休暇にするとある。このうち6月の休暇は実施に移される前に取り消されたようであるが、「これまで通り」というからには、この布告がでるまでにもこの休暇はあったらしい。今もなお明治の太政官布告が生きているのには驚いた。
 年末には「坂の上の雲」がドラマ化され放映されたが、この”あらし”のなかで明治を思いつつ年の瀬の越した。
年末寒波
                【雪のあらし山・山荘】
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私の子供たちへ 21:32
 長い間、意識の片隅にあって妙に気になっていた曲がある。いつか歌いたいと思いながら、つい忘れわすれになっていた。最近、ふと思い出して歌いだすことになったが、そのキッカケは若松進一さんのハーモニカである。若松さんが楽しげにハーモニカを吹き始めると、続いて高知県馬路村の木下彰二さんが手品を始め「うまジック倶楽部」なるものをつくり、馬路村でマジックの世界大会をしたいと言い出した。いいよなぁ〜、若松さんのハーモニカといい、木下さんのマジックといい、芸事は人を和ませる。それは自分を磨いて楽しくないと伝わらない。私が生まれ育ち“あらし山”と称している地元には、集落の中で組内(くみうち)と呼ばれる小単位で催される「念仏講」という集まりがある。お念仏を唱えながら先祖をおまつりするのであるが、これも合唱である。キリスト教でも教会で聖歌を合唱するが、皆が一同に集まって、一緒に歌ったり唱えたりするのは妙に気持ちがひとつになるものらしい。
朝フル合唱隊
 ♪生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を
  あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
  目を閉じてご覧なさい 山が見えるでしょう
  近づいてご覧なさい 辛夷(こぶし)の花があるでしょう♪(笠木透 私の子供たちより)

 私が長い間、歌いたいと思っていたのは「私の子供たちへ」という曲である。学生時代に、高石ともやとナターシャセブンの歌で聞いたこの曲の作者が笠木透さんであるということは最近になって知った。笠木透さんは、日本のフォークソングの草分け的な人である。ふと子供たちの寝顔をみていて、父親というのはなんにもしてあげられない存在だとつくづく思い、せめて歌をつくろうとできあがった曲である。最初は「父さんの子守歌」というタイトルだったが、今ではマスコミを通さずに人から人へと伝わり、広く歌われるようになった。今年、若松進一さんが開塾した年輪塾で、この曲を一緒に歌おうよと呼びかけると、歌の好きな仲間達が集まり「年輪塾 朝フル合唱隊」なるものができあがった。こうして11月7日の公開セミナーで、ちろりん農園の西川則孝さんも参加して「私の子供たちへ」の閉会シングアウトが実現した。

あらし山山荘
 カラコロ・カロコロ音がする。祖母がシノを織っている。シノは山に自生する萱(カヤ)のことで、これが浜の漁師のもとにいき、イリコや海草を干す際のシートとして使われることを後で知った。中学二年の時、祖母がシノを織ったお金でギターを買ってくれた。五千円のガットギターであったが、これが私が楽器を弾くようになる始まりだった。学生時代には食べるものも食べないで楽器やレコードを集め、三十代半ばまでライブハウスに出ていた。あれから仕事を理由に、長い間、楽器から遠のいたが、生まれ育った家に帰ると必ず想いが甦る。
 後半生は「音のある人生」を送りたい。
 カラコロ・カロコロと祖母がシノを織る音が、私の心の音である。
 山間の家に帰れば、家が笑い、山が笑う。
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リンゴとミカン、北と南 23:15
 リンゴとミカンが店頭に仲良く並ぶ季節になった。リンゴの栽培圏が北国で、ミカンの採れる地方が南国、人の性格も忍耐強いリンゴ型優しくのんびりしたミカン型に分かれるという説がある。フルータリアン(果食主義=果物が主食)としては、なかなか言い得ててると思っているが。さて、この北と南はというと、南の語源には諸説があるが「皆見」「日並」など明るさに結びつけたものが多く、海の見える方角だからミナミだという説もある。北の語源は、冬至の後に太陽が戻って来る方角だから「キタル(来)」とか「キタナシ(暗黒)」などがあるが、これといった説はない。英語のサウスはサン(Sun=太陽)と同語根だといわれるが、ノースの語源は不明である。天気予報では、「北日本」は北海道と東北地方をいい、北陸、関東・甲信、東海地方を「東日本」、近畿から九州までを「西日本」といっている。
2009ミカンの鳥害
 立冬を過ぎてから20日になるというのに、今の時期としては暖かいと感じる日が多く続いている。今年は気温が平年より高めの日が多く、寒さで冬の気配を感じる日がなかなか少ない。昨日から今日にかけて雨を降らせた低気圧は東へ抜け、その後には目立った寒気の流入もなく、この時期としては気温の高い所が多い。さらに南海上には台風22号が発生し、海水温が30℃近い海域を北西進しつつ急速に勢力を強めてる。1951年の統計開始以降、晩秋から初冬(11月〜12月)にかけて、日本を直撃した台風はたったひとつしかないが、それでも最近は数年に1度ほどはこの時期でも台風の影響を受けている。
 冷たい風が北の窓をたたき、南の窓に差し込む太陽の光が部屋の奥まで届くようになった。これから北側の部屋はますます暗くなり、北と南のコントラストが強くなってくる
 「北の窓日本海を塞ぎけり」(正岡子規)
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母の面影 22:19
 黄色い花をつけたツワブキが咲き始めた。母が生前に庭の柿の木の下に植えたものである。そのツワブキが今年はひときわ色鮮やかに咲いている。母は、このツワブキが好きで春になると茎を煮たり、粕漬けや味噌漬けなどにして食べさせてくれた。煮物は若く軟らかい茎を、漬け物は硬くなった茎をと使い分けた。なんと言っても母のこの漬け物はとても旨い。私には母の面影とツワブキが重なってみえる。
 ツワブキはキク科の多年草である。秋に黄色い花をつけると、なるほどキク科であることがわかるが、名前からしてフキの仲間かというとそうではない。同じキク科でも、フキはフキ属ツワブキはツワブキ属で同属ではない。葉は厚みのあるフキのように丸く、表面は光沢がある。それで名前は、艶葉蕗(つやばぶき)、艶のある葉のフキつやぶき、それが変化して”つわぶき”となった。またツワブキは年中緑だが、フキは夏の間だけ緑である。花が終わるとタンポポのような綿毛ができて風が吹いてとタネが飛んでいく。
庭のツワブキ
 ところで、最近、ちょっと季節外れかなと思うような雨の降り方をしている。11月は晩秋から初冬へ向かう時期で、雨はシトシトとした降り方が一般的だが、雨が激しく降ったかと思うと強い風が吹いたりで、なにかおかしい。南から夏の名残りのような暖気が入ってきたり、北から強い寒気が南下したりしてくると今の時期でも激しい雨や猛烈な風が吹いたりすることがある。これから早くも西から下り坂で、再び低気圧が発達しながら本州付近を通過するため、広範囲で荒れた天気になりそうだ。
 ツワブキの花は今が旬。花言葉を思い出しながら、この花を見ると母の面影が目に浮かぶ。花言葉はよみがえる愛。この黄色い花が咲くと、もうすぐ冬の足音が聞こえてくる。ツワブキの花が終わると12月は母の三回忌である。
「いくたびか 時雨(しぐれ)のあめの かかりたる 石蕗(つわぶき)の花も つひに終はりぬ」(斎藤茂吉)
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